藤原義久先生のご逝去に際して

2025年6月3日、藤原義久先生がご逝去されました。享年86歳でした。
先生は山形大学の名誉教授(専門:音楽)であり、また私たち「患者の集いモミの木」の立ち上げ当初から長年にわたり代表世話人をお引き受けくださり、今日まで本会の大きな支柱でいてくださいました。

先生もご高齢になられたこともあり、かねてからのご本人のご意向により、私が事務局長から代表に役職を引き継がせていただきました。

思い返せば、私たちの会は20数年前、現・瀬田クリニック東京 院長の後藤重則先生の呼びかけによって、免疫細胞療法の普及と正しい理解を目的に発足した患者会でした。

当時はまだ、免疫細胞療法に対する社会的な理解も浅く、いくつかのメディアから批判的な扱いを受けるなど、非常に厳しい時代でした(ある意味では、今もなお同じ状況が続いているとも言えるかもしれません)。
そうした中で、この治療法によって回復された患者さんたちが中心となって立ち上げたのが、私たち「患者の集いモミの木」でした。

藤原先生ご自身も、当時膀胱がんを患われ、膀胱内の再発を繰り返された結果、膀胱全摘出の手術を勧められていたと記憶しております。
しかし、先生は手術ではなく、免疫細胞療法による治療を選択されました。

その治療は成功し、その後は再発もなく、臓器を温存したまま、人生を謳歌されたと語っておられました。

昨年、新たに大腸がんが見つかり、医師からは余命3か月と宣告されましたが、再び後藤先生の元で、免疫細胞療法と抗がん剤の併用による治療を受けられました。一時は腫瘍も大きく縮小し、安定した状態を保ち、結果的には1年半以上もの時間をご自身の手で延ばされました。

その間に、山形大学で行われた音楽会において、ご自身の人生の集大成ともいえる作品を見事に仕上げられました。
今年4月、後藤先生とともにご自宅をお見舞いに訪れた際には非常にお元気で、「新しくボサノバに興味を持ち、作曲も始めている」と嬉しそうに話しておられたのを昨日のことのように思い出します。

個人的には、藤原先生はとても穏やかな性格の方で、皇室とのご縁も深く、まさに「上品」という言葉がぴったりの方でした。
それでいて、不正や不誠実には厳しく、物事の本質を的確に見抜かれる洞察力をお持ちでした。
私はどちらかと言えば突き進むタイプですので、先生は常に私の手綱を引いてくださる存在だったかもしれません。
人生において、私が最も尊敬し、道徳の指針と仰ぐにふさわしいお一人でありました。

先生は、ご自身の体験を通じて「自らが生き抜くことが、免疫細胞療法の証明になる」と常々おっしゃっていました。
膀胱がんを克服された後は、「今はおまけの人生」と仰りながら、心から好きなことに打ち込まれ、数多くの作品を世に残し、多くの教え子たちに影響を与えられたことと思います。

その生涯はまさに、作品と同じく、最後まで丁寧に、美しく仕上げられたものでした。

まだまだご指導を賜りたかったという思いは尽きませんが、どうぞ今は静かにおやすみいただければと願っております。

私たちは、先生のご意志をしっかりと受け継ぎ、この患者会をさらに発展させてまいります。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

合掌
患者の集いモミの木
代表 平林 茂