患者は医師を選べない?~患者が選択できるシステムの構築の必要性~

ブログを開いていただいてありがとうございます。患者の集い・モミの木事務局です。

今回は、がん治療だけにこだわらず、医療の現場で実際に起こっていることについて、ご紹介をさせていただきます。

今回は、「患者は医師を選べない?」というテーマで、患者の集い・モミの木の代表、平林茂の著作の一部を抜粋にてご紹介させていただきます。

がん治療の現場の大きな問題点は、患者は医師を選べないということです。体の調子が悪いと病院に行き、精密検査でがんと診断されると、自動的に病院のほうから先生が決められるのが、大筋の流れです。決して、レストランのメニューのように、多くの選択肢から選ぶことはできないのが通常でしょう。

車や家を買うにも、新型の液晶テレビを購入するにも、私たちの生活の中では、「選択をする」という自由が与えられています。後悔しないように、時間があればよく調べて、性能やデザイン、耐久性、そして金額などを考慮して購入する方がほとんどでしょう。

ところが、この一般的な流れが、医療の現場には当てはまらないのです。風邪や腹痛などの軽微な病気ならいざ知らず、命に直接かかわってくるがんという病気においてもこの構図は変わらないのです。

命を預ける側も預けられる側も、当然のようにこの流れに従っています。病院側から担当医を紹介されて、「よろしくお願いします」と深々と頭を下げる光景は、病院では日常的です。

しかし、よくよく考えてみると、一番大切な命を預ける医師を、その医師の考え方や実績、治療方針もわからないのに決められてしまうというのは、やはりどこかおかしいと言わざるを得ません。

がんという病気は、多くの場合、長期戦を余儀なくされるのですが、それだけに、自らの命を預けてもよいと思える先生に主治医になってほしいと思うのは、私だけでしょうか?

主治医の選択の自由度がない一つの理由に、勤務医が忙しすぎるという現状があります。日本全国どこのがん拠点病院の医師も、労働基準法という言葉が成立しない世界で働いています。もちろんそれをヘルプする看護師や医療スタッフも同様です。

現場の医師の忙しさに加えて、医師の選択まで患者の好みに合わせていたら、病院の機能が麻陣してしまうでしょう。患者サイドに立つ私の立場では、もう少し融通が利かないものかと感じますが、現場の現実を考えると、すぐにこの現状を変えることは難しいのかもしれません。

1番の問題点は、行政サイドの考え方にあります。行政サイドからこの問題にメスが入らないのは、国家試験を通った医師や認可された病院のレベルは、基本的に信頼に値するもので、誰を、どこを選んでも金太郎飴のように同じでなければならないという「標準治療」の概念が基本的なスタンスになっているからです。

実際は、このようなことは現実にはあり得ませんが、責任回避の立場を常に意識する行政サイドがこのスタンスを崩すことはないでしょう。近年は情報公開が進み、病院側にも積極的に治療方針や治療データの公開に努めるところが多くなりました。比較的詳しい内容も、インターネットで手軽に入手できるようになっています。また、「名医」と言われる先生や病院を紹介する本も多く出版されています。

必ずしもそれがいいことだとは言いませんが、病院や医師を指定して治療を受ける患者さんも多くなってきています。しかし、これは医療機関が集中する東京や大阪などの大都会では可能なことかもしれませんが、地方では難しいと言わざるを得ません。よって、医師の選択ということに関しての自由度は制限されてしまうのが通常なのです。

平林茂著 医者の言いなりにならない「がん患者学」より

私たちは、医師と医療機関を患者が選択できるシステムの構築が必要であると考えています。そして、少しでもその選択のお力になれるよう、患者の集い・モミの木では、がん治療に関するご相談をいただいた際には、本当に命を預けてもよいと思える、信頼できる先生をご紹介しています。