藤原義久先生を偲んで ―瀬田クリニック東京 院長 後藤先生より

先日逝去された当会前代表の藤原先生を偲び、瀬田クリニック東京の院長 後藤先生より追悼の文章をお寄せいただきました。後藤先生は、藤原先生と現代表の平林とともに、患者の集い・モミの木の立ち上げを行っていただいたお一人でございます。謹んでご紹介いたします。

藤原義久先生を偲んで

 

2025年6月3日、藤原義久先生が86歳でご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

先生との最初の出会いは、2002年のことでした。瀬田クリニックの研究スタッフの紹介で、ご病気のご相談にいらっしゃいました。当時63歳で、膀胱がんの治療についてのご相談でした。

ご自身が著された『最先端がん治療 免疫細胞療法にたどり着いて』(河出書房新社)に詳しい経緯が記されていますが、当時すでに内視鏡では腫瘍の切除が困難で、膀胱全摘が必要と診断されていました。

先生は「膀胱ごとがんを取れば治ることはわかっているが、それでは病気に負けたことになる。もうひとつ、別の治療法に挑戦したい」と、強い意志をお持ちでした。膀胱全摘の必要性については十分にご説明し、担当の泌尿器科の先生とも相談のうえで、免疫細胞療法を開始いたしました。治療の経過中には、内視鏡による追加切除も一度行われましたが、幸いにも膀胱を残したまま病気を克服されました。

その後、先生はご自身の治療経験と免疫細胞療法への考察を一冊の書籍としてまとめてくださいました。また、同じように免疫細胞療法に希望、思い抱く患者さんやご家族とともに、患者会を立ち上げられました。現在、この会の代表を務めてくださっている平林さんも、その中心メンバーのお一人です。会の名称である「もみの木」は、積極的に活動されていた荒井さんが命名されたと記憶しております。

作曲家、そして大学教授としての藤原先生は、その温厚なお人柄、音楽への深い造詣、そして皇室にも関わる音楽教育の分野で知られる、まさに多方面でご活躍された方でした。

また、人生観や死生観についても深いお考えをお持ちで、たびたび語ってくださいました。

昨年2月、久しぶりにご相談にお越しになった際には、かなり病状が進行しておられましたが、「5月から10月にかけて予定している大きな演奏会を無事に成功させたら、その後のことは自然に任せたい」と、はっきりとお話しくださいました。

主治医の腫瘍内科の先生とも連携し、副作用を最小限に抑えた化学療法と併用しながら、7月までに6回の免疫細胞療法を受けていただきました。

今年4月、ご自宅にお見舞いに伺った際には、とてもお元気で、「昨年の演奏会は成功した。次は新しいジャンルに挑戦する」とおっしゃり、ご自身で作曲されたボサノバの楽譜を見せてくださいました。さらに、「届けようと思って取っておいた」と、昨年7月から今年4月までの血液検査のデータ一式もくださいました。

医師は患者さんから学ぶものであり、医師や治療法が評価されるのは、あくまで患者さんによってです。つまり、医師にとっての「先生」とは、まさに患者さんにほかなりません。

がん患者として、常に前向きで自然体であった藤原先生の生き方は、私にとって多くの学びと気づきを与えてくださいました。

そして、いつもお会いするたびにおっしゃっていた言葉――

「治療費は下げて、治療効果は上げろ」

――その言葉を胸に、今後も医療の向上に尽力してまいりたいと思います。十分に実現できなかったことが、今も心残りです。

藤原先生、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。

 

後藤重則