標準治療の限界

標準治療の限界を知ることで、見えてくる可能性がある

「全国どこででも、平等に受けられる高度な医療」

この意味の裏には、国家試験を通った医師や認可を受けた医療機関で行われる治療は、基本的には信頼に値するものであり、誰を何処を選んでも金太郎飴のように同レベルでなければならない。という考え方に通じます。

そのような、システムを構築するためには、医師の手腕に関わりなく決められたプロトコールに沿って投与可能な薬剤が主役になります。

国が定めたレールの上で、それから逸脱しない形での治療が求められます。

また、このシステムにのっとっての治療であれば、たとえ治療そのものが、うまくいかなくても医師や医療機関の責任を問われることはありません。ある意味だれも責任を取る必要のない医療でもあるのです。そのため、医師や医療機関は安心して医療行為が行えるという利点はあります。反面、保険診療内で行える医療行為以外は原則禁止されるために、それ以外の治療を取り入れようと考えてもそれは許されない行為となります。限られた武器を、限られた範囲でしか使用できません。結果、思考を停止しそのような考えは排除されます。

「平等に行える医療、医療の全国均てん化」を国は政策として掲げてきました。

しかし、現実これは不可能です。誰でも行える平等な医療を基準に置けば、そのレベルの水準を下げなければなりません。

重粒子線治療を考えれば、わかりやすい。数百億円と莫大な維持費が必要となる施設の建設を全国どこでも受けられるようにするのは、無理があります。また、高度な遺伝子治療や免疫細胞療法なども、その知識や経験がある医師のところでしか受けられないでしょう。

高度な医療は、集中させるべきであり、分散させてはそのレベルが下がります。

長期滞在型で高度な医療が、集中的に集学的に行える拠点を地域ごとにつくり、離れた人でも安心して長期滞在型で治療が受けられる医療システムを構築させるべきだと考えます。(がん拠点病院では、不十分です)

また、保険が適応できる薬剤の範囲が限定されていたり、使用方法に制限が多すぎたり問題点もあります。

がんの新薬は年々価格があがり、限りある予算の中では、当然使用制限が設けられる必要性はあります。

しかしそれにより、患者の命が左右されるという考え方は、どうもしっくりこないし、正しいがん治療であるとは到底思えません。

これらの問題に関しても私たちは考えていきたいと思います。

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